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大学生活は苦しく、何度も寮の屋上から飛び降りようかと思った。けれど、屋上から飛び降りたって、下は草木の生えた地面だったから、多分死なずに大怪我を負い、生き恥を晒すことになると推察できた。家族は情けなく恥ずかしく思うだろう。
私学で担任・副担任をしていた時、深夜でも電話が掛かってきて、電話恐怖症になった。
生徒が家出して行方不明、寮から居なくなって行方不明、生徒が深夜徘徊で補導された……。
その度に呼び出され、生徒指導部と一緒に探しに行ったりした。
その学校では、生徒を自宅謹慎にする代わりに学校謹慎とし、担任も一緒にマラソンや草むしりや掃除など一緒にやらなければならなかった。お盆も正月も郷里に帰れなかった。
往来で車の前に飛び出して死んでしまいたかった。
けれど、それをすると、何の関係もない車のドライバーを巻き込んでしまう。
生徒も自分を責めるかもしれない。
死ねないのなら、生きるしかないなら、働かないわけにはいかなかった。稼ぎなしには命は繋げなかったから。
私が死ななかった理由はもう一つある。死ななかった最大の理由。
アンデルセンの童話「海燕(パンを踏んだ娘)」で、悔いた娘は悟る。パンを返し終える(罪の償いとして善行を重ねる)まで、自分は死んではいけないのだと。
人は誰しも、生きていれば、自覚していようが無自覚であろうが、罪深い行為をしてしまう。私は自分の罪深い行為を月日が過ぎても忘れることはない。自分で自分を許せないし、情けない。だから、私も、パンを返し終えるまでは死んではいけないのだと思った。
パンを返すまで。
それが、私が苦しくても逃げずに、死なずに、生きることが出来た最大の理由。
生きていくつもりなら、完全自給自足ならまだしも、お金が無くては生きられない。
私は、年金受給までの生活費を、国民年金や健康保険税まで含めて1年間に概算で最低150万円と算出し、爪に火を点すように質素倹約に努めた。どんなに仕事が辛くても、体がきつくても、年金受給年齢までの生活費を確保できるまでは、仕事を辞めるわけにいかなかった。
だから、今、私は無職だけれど、一人で誰とも会話の無いひきこもりだけど、生きている。
私が高機能自閉症という発達障害で、記憶が何一つ薄れずに蓄積される、というのでなかったら、あるいはもっと生きやすかったのかもしれない。
けれど、そう生まれてしまった。
これ以上はもう努力しようもない。
誰も褒めてはくれないけれど、私が自分を褒めてあげよう。よく頑張って、逃げずに今まで生きてきたね。
もし、タイムマシンであの頃の自分に会いに行けるなら、私は、子供の私、若い私を、思い切り抱きしめてあげよう。
学校でいじめられても、一人で膝を抱え、声を殺して泣いていた小学生の私を。
アルバイト先のデパートで、突然現れたフロア部長に、社員でもないのに他の商品の事で理不尽な叱責を受け、トイレで泣くしかなかった大学生の私を。
先輩教師に無能だと叱責され、君が担任だから生徒が不幸になると言われ、トイレで声を殺して泣いた26歳の私を。
今まで誰にも抱きしめられることが無かったから、せめて自分で、あの頃の私を抱きしめてあげたい。
パンは返せたのかなぁ。
いつか誰かに言ってほしい。
大丈夫。もうパンはちゃんと返せたよ。
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