そして父は竜になった
2020-07-22


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最近、急に猛暑日が増え、昨日も今日も、農作業中の高齢者が熱中症で亡くなったニュースを見た。とても悲しく辛くなる。
昨日まで元気にしていた高齢者が、突然に熱中症で亡くなる。防ぎようは無かったのかと。

高齢者は、暑さ寒さを感じにくくなり、たとえ暑いと感じても、取るべき行動の判断が出来なかったりする。エアコンがあってもつけずに熱中症で亡くなるのは、暑いことが分からなかったり、暑いと思ってもエアコンを付けるという考えに至らなかったりする場合もある。高温の農業用ハウスや日中の畑で亡くなるのは、暑いと思わないか、思ったとしても「これくらいは大丈夫」と思ってしまうのかもしれない。
どうか、高齢者の家族や近所に住む方は、見守り、助けてあげて欲しい。
高齢者本人が、たとえ「大丈夫だ」と言ったとしても。

私の父も、熱中症で倒れたことがある。
たまたま実家に帰っていた日で、父はいつも夕食前の夕方に入浴していたのだが、浴室で声がして、駆け付けてみると、父は浴室と脱衣所の間で倒れていた。
その時、直ちには熱中症とは判断できなかった。頭を打っているかもしれないし、父は狭心症で手術して通院もしていたし、祖父は私が5歳の頃に脳出血により69歳で他界している。すぐに動かすのは危険だった。
裸の父にバスタオルを掛け、呼びかけると、返事はできた。頭は打っていないと答え、呂律が回らない等の症状はなく、強い頭痛や胸の痛みなども無いようだった。
父はかなりの長風呂だった。熱中症だと思った。
氷水を作り、飲ませた。頭の下にバスタオルを重ねて枕にし、脇の下と足の裏も冷たいタオルで冷やすと、父は気持ちがいいと言った。うちわで風を送りながら、しばらくはその場所で様子を見た。
居間に冷房を付け、父が自分で体を動かせるようになって、肩を貸して居間で休ませた。
父は大丈夫だった。たまたま私が居る時で本当に良かったと思った。

私は中学生以降、父から様々な仕打ちを受けた。実の娘であるのに、敵であるかのように。
私が教員になって15年程経った頃、精神的に追い込まれて心療内科に通って休職することになり、さらに、当時住んでいたアパートの前の住人にストーカー行為をしていた男が、住人が変わったのに私にストーカー行為をし、仕方なくアパートを引き払って一時的に実家に身を寄せることになった時でさえ、父は、私に容赦がなかった。
けれど、私は父を許した。
子供の頃からの辛く悲しかった記憶は1ミリも薄れはしなかったが、高齢の父を恨み続けても、気持ちが楽になるわけではない。

父は、初めてではないかと思うが、私にありがとうと言った。
「あんたが居てくれて良かった」と。

父は、その後、私に対して急に態度を軟化させる、ということは無かったが、何かしてあげると、「ありがとう」を繰り返すようになった。
母には、次は私がいつ実家に帰ってくるかと、しきりに聞いていたという。私は2週おきくらいには帰っていた。

そして、父は、その1年後くらいに狭心症で亡くなった。
私は死に目に会えなかった。
もし、あの時、父が熱中症で倒れた時のように実家に居たら、心肺蘇生法をやれたのに。近所の歯科医に、すぐにAED(自動体外式除細動器)を持ってきて、と叫ぶことができたのに。(私は何度も研修を受け、生徒にも教えていた)
病院で、もう動かない冷たくなった父に一人再会した時、私はベッドにすがって泣いた。
家族皆で「百歳まで生きるよね」と言うほどに元気そうで、急に死ぬなんて、心の準備が全くできていなかったから。

父は、内心はきっと私を愛さないわけではなかったと思う。ただ素直に表現できなかったのだろう。姉に対しては出来たことを、なぜ私に対しては出来なかったのか、それは永遠に分からない。
けれど、辰年生まれの父は、きっと竜神様になって、私を守ってくれている。


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