空気読めない?
2020-07-29


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私がASDであることは、「このブログについて」の欄に高機能自閉症と記載している通りなのだが、ASDの人は、よく周囲から「空気が読めない」と思われているらしい。

しばらく前になるが、TVで「空気が読める人と読めない人の差」というのをやっていた。
空気が読めないって何なのだろう。私自身は読めているつもりだし、ASDではなさそうな人が全然空気読もうとしない場面にもよく出会う。空気読めるも読めないも、個人差じゃないの?
気になるので番組を見たら、空気が読めないっていうことは次の4点だと言っていた。

@ タイミングが読めない……帰ろうとしているのに質問する、ラインで終わりの合図を出しているのに止めない、など
A 人との距離が読めない……親しくもないのにお土産を欲しがる、親しくもないのに話に入ってくる、など
B 相手の気持ちが読めない……自分の興味ある話しかしない、自分より年上が居るのに自分なんてオバサンなどと言うなど
C 場の流れが読めない……場を盛り上げるより自分優先、結婚式で花嫁より派手、など

私の思っていた「空気が読めない」とは少し違っていた。TVでやっていた例は、「空気が読めない」というよりも「自己中心的」なだけのように私には思えたけれど、どうなんだろう。

私は空気を読める。読み過ぎる。
新米教員だった頃、先輩教員に助言を求めたくて、先輩職員の姿を目で追って声を掛けるタイミングを探すのだが、いつも忙しそうにしていたから声を掛けることが出来なかった。空気読めなかったら、構わずに声を掛けたはず。
トラブルにより夜遅くまで大人数で居残りしなければならない時、たまに管理職が差し入れをしてくれることがあったが、率先してお茶の準備をしたりしていた。空気読めなかったら、自分から手伝ったりしなかったはず。
以前の記事にも書いたけれど、大学生の頃、コンパで場を盛り上げなければと、何も芸が無かったので、飲めない焼酎の一気飲みで場を盛り上げた。
空気読んだのに、対処を間違って失敗したこともあるけれど、ものすごく空気は読んでいた、読む努力はしていた、と思う。

でも、ある時、そんな自分に疲れてしまった。
空気読み過ぎて声が掛けられなかったのに、「遅すぎる相談ならしないほうがマシ」とまで言われてしまった。先輩先生が「忙しいから声掛けるな的空気」をまとっていたから声を掛けられなかったのに。「いつでも相談してくれていいよ空気」をまとってくれてなきゃ相談したくても出来ないよ。

それに、女子は、気遣いが出来て当然だと思われる。
さっとお茶を出す。黙ってさっと茶碗を洗って片付ける。毎日花瓶の水を替える。テーブルを拭く。宴会ではお酌に立つ。皆の分まで料理を取り分ける。ビールが足りなくなる前に補充に立つ……どうして女子だけにそれが当然のように求められるのか。
私もやっていたよ。そうしなきゃいけないと察して。
ちゃんと察すること出来ていたよ。
でも、すごく気を使って疲れてしまう。ああ、もう「よく気が付く女子」だと思われなくていいや、と思った。
もちろん、目の前に料理の大皿があれば、欲しいかどうか訊いた上で取り分けるし、テーブルが汚れていればサッと拭く。でも、必要以上には気を使わないことにした。

どうして他の女子は、さも当たり前のように、宴会が始まるとサッと上司や男性職員のお酌に立つのか。どうして頼まれもしないのに、全員の分の料理を取り分けるのか。どうして、ビール瓶が空く前にどんどん入れ替えるのか。どうして、コップが空く前にどんどんお酌しなくてはいけないのか。

そういえば、家庭でもそうだよね。お客さんが来ると、お父さんとお客さんにお酒や料理を作ったり運んだりで、お母さんは座る暇もない。片づけるのもお母さんだけ。お父さんもお客さんも、当のお母さんも、それが当たり前だと思っていたようだ。外国では違うらしいよね。一緒に準備して一緒にもてなして、一緒に片づける。


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