感覚過敏はつらいよ
2020-08-05


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紹介にもあるように、私は五感全てが感覚過敏。
記憶をたどると、私は物心ついた幼時の頃から、既に感覚過敏があったようなのだが、感覚過敏というものについて初めて知ったのは、2017年5月21日日曜日に放送されたNHKスペシャル「発達障害〜解明される未知の世界〜」を見た時だった。
それまでは、どうやら自分は他の人より聴覚や嗅覚が敏感なようだ、くらいには思っていたけれど、それらが感覚過敏と呼ばれるものだとは知らなかった。

以前、特別支援学校で講師をしていた時、他の職員と一緒に掃除をしていて、その職員がモップに掃除用のスプレーを掛けたら、私はあまりの匂いのきつさに、てっきりスプレーが古くなって傷んでいるのだと思って「すごいキツイ匂い。傷んでませんか?」って訊いたら、「そうですか? 私にはすごく良い香りですけど」って言われた。その時に、自分の嗅覚が他人と違っていると初めて知った。

2年前の11月、神社の秋祭りの日、姉と一緒に母を施設に迎えに行った。一時帰宅のために。帰宅して、ちょうどお神輿が自宅近くの道を通るので、私は日傘を母に差し掛け、姉と3人でお神輿を見に行った。
「日差しが強くて痛いね」って姉に言うと、
「そお? 私にはちょうど暖かくて気持ちいいけれど」って言われた。
もう何年も前から日差しが痛くて困っていて、てっきりオゾン層が破壊されて紫外線が強くなったからだと思っていたのだが、そうではなかったのだと分かった。

そんな風にして、私は、自分が五感全て感覚過敏であると知った。

幼い頃、暗がりに不思議なものを見ていた。
とても綺麗で、虹色の様々な形のものがたくさんたくさん流れるように浮かんでいて、私はそれを掌で包んで捕まえることもできた。丸や三角やひし形や、様々な色や形のものが鎖のように繋がったり、花のような形になっていたりして、布団にもぐって、一番綺麗なそれを捕まえて、握った手の隙間から覗くと、捕まえたその綺麗なものが手の中にちゃんと見えた。
今も、幼い頃ほど綺麗ではないけれど、やはり暗闇は闇ではなくて、カラフルな虹色の模様で溢れている。他の人達に闇がどう見えているかは分からないけれど。
小学校の低学年で気付いたのは、明るい所では透明な小さなシャボン玉のような〇が空中を動き回っていることだ。参観日で授業は早く終わり、母親は懇談会に出ていて、帰宅後に一人で南向きの和室でぼうっと宙を見ていて気付いた。空気が見えるのかな、と思った。

他の人もそうなのか、違うのか、気にしたことは無かった。知りようも無かったと思う。
感覚は、自分の内なる世界であって、他人と見比べることは難しいから。

明るいのは苦手だ。真っ白も目が眩む。TVは一番暗くしているし、室内の照明も暗くしているし、外出時は冬でもUVグラスかけているし、何とかなる。時々TV画像が耐えられない色調や動きのことがあるけれど、そんな時はTVを見なければいいわけだから。
視覚過敏は、なんとか対応できる。

味覚過敏は、自分で調理すれば大丈夫。
スナック菓子類は殆ど買わないけれど、たまに食べたくなった時には、一番塩分量の少ない物を買う。インスタントラーメンは粉末スープを半量にするか、野菜を麺の倍量入れる。カップスープはお湯の量を2倍に。

嗅覚過敏は、自宅に居る分にはほぼ大丈夫だけれど、一歩家を出ると結構困る。
ある耳鼻咽喉科の診察室に入ったとたんに看護師の化粧の匂いに耐えられなくなった。スーパーの出入り口付近にある喫煙コーナーはどうにかしてほしい。出入りするときに、息を止めなければならない。
昔はスーパーの鮮魚コーナー駄目だったけれど、今はきっちりラップしてあって大丈夫。洗剤コーナー、柔軟仕上げ剤コーナーは、密封してあるはずなのに、日によっては耐えられないこともある。金木犀の季節は、花が見えなくてもあのきつい香りが漂ってきて困る。
近所から漂ってくる夕餉の匂いも結構困るが、これは仕方がない。


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